鳥喰ひよこのメモ帳

自我復元、宇宙全史、ひらめき、その他。

『宇宙全史 質疑応答2』感想など ~重要な修正事項アリ~ ネタバレあり

『質疑応答1』とは、いくらか違った印象です。虚空蔵55さんと質問されている皆さんの関係性もいくらか自然になってきた感じがします。

 

 

重要な修正箇所(その1)

 

『宇宙全史1 地球全史篇』についての重要な修正箇所があります。

 

「「宇宙全史」第一巻の中でも最後の方でやっと明らかになったことがありました。それは「JUMUは地球入植者たちの代表者の集まりだった」ということです。

私はこのワークの初めのうちは「JUMUはUMU(オーム宇宙管理局)から派遣されてきた地球管理者」だと思っていました。しかしそうではなかったのです。

結局彼らは私たちの代表に過ぎなかったのです。つまり地上における政治家やお役人のようなもので、私たち自らが選んで代表になっていただいている方たちなのです。もっと分かりやすく申し上げますと「私たちが私たちの選択でJUMUを認知している」ということなのです(どこかずっと上におわします神が彼らを選任したという事でもありません)。」(p.297 改行省略)

  

重要な修正箇所(その2)

 

『宇宙全史1 地球全史篇』についての重要な修正箇所の2つ目です。p.134 の satsuki さんの指摘です。(わたしもこの点は、一読してつじつまが合わないと感じていました。)

 

「158ページに書かれているモーゼの前に顕現した神ヤハウェはエホバという事実と、162ページにアラー神はエホバという事実が書かれています。

一方、253ページにはモーゼに顕現したヤハウェイスラム教のアラーという神はエルランティがやっています、と書かれています。(中略)ヤハウェがエホバだったりエルランティだったりという所をもう少し詳しく知りたいと思っています。」(p.134 satsuki さんの投稿 改行省略)

 

 

これに対し、虚空蔵55さんは、下記のように回答しています。

 

「確かに253ページの記述は矛盾があります。」(p.134)

「ご質問の事実は「ヤハウェもアラーもどちらもエホバが演じていました」というのが正解です。つまり253ページの記述は、修正がなされていない状態のまま印刷されてしまったものです(158、162ページの情報は、修正されたものです)。エル・ランティは他人の成果、功績を平気で横取りします。(中略)253ページの情報は最初エル・ランティが私たちに流してきた情報でした。「自分がアラーであった、自分がヤハウェだった」と自慢したかったようでした。」(p.135 改行省略)

 

 

詳しくは、該当箇所を参照してみてください。

 

自殺者について

 

質疑応答第1巻でも触れていたと思うのですが、「自殺者」についてわたしと同じように気になっている質問者さんがいらしたようです。質問者さんからの質問から引用します。

 

「「私が目にするものはすべて私の一部、私もまわりも本当は同じ」というような感覚がたまにあるのですが、そうなると、自殺者のことが少し気にかかります。「世界平和の祈り」を続けることによってそういった人たちもダウンアセンションから少しは救われるのでしょうか。」(p.88)

 

これに対して虚空蔵55さんは、

 

「自殺者のことは、「自殺者が気づく縁(えにし)があれば、祈りは有効です」というお答えが、五井先生からありました。しかしそれよりはまずはご自分ということも仰っておられます。」(p.91 改行省略)

 

 

と、長い回答文の一部として触れられている程度なので、(おそらくですが)ご本人としては「自殺者」についてはとりたてて関心はないのであろう、ということが読み取れます。他の部分もですが、「質疑応答」については虚空蔵55さんの関心の程度により探求の具合も左右されている感じはします。ですがそれはまったくもって当たり前のことなので、回答の量と濃さがことの真実性に比例しているとは必ずしも限らない、ということを押さえておけば何も問題はなさそうです。

 

柔らかいお祈り

 

『質疑応答1』ですでに収録はされていましたが、「柔らかいお祈り」が質問の流れで初登場します(2009年4月11日?)。「質疑応答集」は、質問者さんごとに纏められていて時系列的に前後する部分があるので、すでに『質疑応答1』でも「柔らかいお祈り」の内容が触れられてものもあります。(『質疑応答2』p.154-p.156 p.249 参照 『質疑応答1』p.161-p.162 p.183-p.185 )

 

ちなみに、柔らかいお祈りは、下記の通りです。

 

「私(わたし)は幸せでありますように」

「私の悩み・苦しみがなくなりますように」

「私に悟りの光が現れますように」

「生きとし生けるものが皆(みな)幸せでありますように」(p.249 より)

 

 

五井昌久先生について

 

五井昌久先生についてですが、

 

「……が、更にここがあの方のすごい所なのですが「私が嫌いであっても何であってもとにかく私を呼びなさい」ということがあります。つまり「なんだ世界平和の祈りなんかやってたって、何にも良い事なんか無いじゃないか、くそ! まただまされちまったよ、五井先生のバカヤロー」でもいいから私を呼びなさいというのが五井先生なのです。(中略)たとえ五井先生をののしったとしても「それでもいいから私を呼びなさい」とおっしゃるのが先生のスタイルです。」(p120-121 改行省略)

 

ここは、さすがに吹き出します(笑)

 

そのほかに面白かった箇所

 

そのほかに印象に残っているのが、p.114 の櫻の会さんのメッセージで、こういった場所にはいろんな皆さんが集まってくるものだなとわたしは感じながら、大人な対応でスルーされている虚空蔵55さんに感心しつつ読み進めました。

 

虚空蔵55さんの謝罪

 

後半に、「9・11同時多発テロ」関連の回答が掲載されていて、(「個人的にはあまり興味ないな…」)と感じながら読み進めましたが、最後のあたりで興味深い展開があります。

 

9・11同時多発テロ」関連の回答のなかで、虚空蔵55さんがある質問者さんについて謝罪している部分があるのですが、わたしはとても注目したポイントです。謝罪というものは、なかなか素直にできないものです。日常生活でもしなければ、というときにできればいいですが、結局できずにいるともやもやが残ります。逆にちゃんと自分の非を認めて謝罪ができた場合はすっきりしますし、謝罪したことによって以前よりものごとがうまく進むということもあります。虚空蔵55さんは、しっかり謝罪をされている様子でその姿自体が、いくらかハートにつき刺さるものです。虚空蔵55さんはご自身が修業中とのことで、われわれの参考にできる部分は、われわれ自身の糧として生かすことができると思います。ワークのなかでさまざまな「間違い」にぶつかりながらそれに取り組んでいらっしゃると思うのですが、「間違い」を冒したときにどのような姿勢で対処されるのかがいかに重要であるかということなのだと思います。

 

『質疑応答2』を読んで

 

自分の信じるものについては、自分の良心にたいして注意深く問いかけることを怠らず、インスピレーションにもしっかりと聞き耳を立てて、その時点で信じるものに自分自身を託していくことが重要だと思います。表面的には間違った道を選択していたとしても、結局は自分にとってもっとも正しい道に導かれると思います。結局のところ、それしか選択の道はないと思います。それゆえ、なにがまことに事実であるかにのみ注目し続けることはあまり意味がありません。人間的な知で完全に捉えきることは可能ではないのだと思います。そのあたりは運命が結局さいごには流れのもっとも良いところにに自分自身を導いてくれるのだと考えます。

 

気になった箇所のまとめ(ネタバレあり)

 

その他の重要であるの思われる部分をまとめます。(あくまでも、個人的な覚え書きです。)

今回は、ネタバレも多いので表示を隠してあります。

下のボタンをクリックすれば、内容が表示されます。

 

表示する

 

「恐竜人間は人類初期カルマの解消のため」(p.41)

 

「この地球という惑星で学ぶべきことがあったからですが、それでもまともにこの地球で学ぶためには、前もってある程度の「澱(カルマ)」を精算しておく必要のある魂がほとんどだったのです。」(p42 )

 

「人類は一度どうしても恐竜人間との共生という禊(調整)を通過する必要があったのです。」(p.46)

 

「そして私たちの炭素系を含む6つの塩基生体は、どれもそれぞれ優劣はなく、この宇宙においては同格で進化を模索しています。ここでそれぞれの塩基に対応する生命形態を書いておきます。

炭素系-ヒューマノイド

窒素系-爬虫類

ケイ素系-昆虫類

アルゴン系-鉱石類

クリプトン系-木石類(木と石が半々くらいです)

塩素系-流動体(アメーバのような形態)

(流動体を除いて、基本形はすべて2本足です)」(p.55-p.56)

 

「しかしここからが新しい情報ですが、常人は人生においてその分岐点をほぼ持ちません。あっても1回か2回です(2回はまずないということです)。つまり一定量のエネルギーを持ち得ない者は、世界線を分岐するだけのエネルギーがないので、それが出来ないのです。もっとわかりやすくいいますと「ほとんどの人は運命通りにその人生を終える」ということになります。」(p.61-p.62 改行省略)

 

「「世界線を分岐して、新しい世界に立ち入る(創造する・選択する)には人はエネルギーが足りない」ということでした。逆にいいますと、エネルギーさえあれば多様な世界線を選択することが出来るということも出来るのです。」(p.62 改行省略)

 

「しかし先ほど恐竜の最後のところでお話ししましたように、そのような些細な常人の行動の差からは世界線の分岐という現象は起こらないようになっています」(p.65)

 

「守護神というその方の守護の大元は、6次元界の集合魂の中におられますが、一般にはあまり表立って(具体的に)守護をするということはないようです。普通は霊界(大体5~4次元)におられる守護霊が、直接肉体を見ておられます。」(p.132 改行省略)

 

「なおエホバという存在は、ある意味地球における一種の「システム」のようなもので「悪の大元締め」とか「悪の根源」という事でもないのです。エホバを非難したり、攻撃したりする事にはあまり意味はなく、その存在を理解するということが、私たちのありようでもあるのです。それ(理解)が、私たちをエホバの呪縛から解放する唯一の道でもあるのです。彼(エホバ)は、私たちが必要としているから存在するのです。」(p.132 改行省略)

 

「実は自らの人生で自らに顕現するすべてのことを「消えていく姿」で観照するということは、最高の「自分のことは自分で責任をとる」ということなのです。」(p.147)

 

「中にはだまされる事もあるでしょう。中には進化が停滞することもあるでしょう。しかしそれも学びなのです。」(p.148)

 

「実際は「心のお掃除」も中々大変です……しかしそれが通常より簡単に出来るのが、今現在「月読の大神」が照射していただいている「カルマを減衰させる波動」なのです。(中略)おそらく皆様にとっては、これまでの人類の歴史上最大のチャンスだと思います。」(p.196)

 

  • 銀河団は、介入を行なうことは減点対象となっている。(p.296-299 参照)

 

『宇宙全史 質疑応答1』感想 ~このようなエントリーを追加した理由~ ごく一部ネタバレあり

はじめに

 

もともと『質疑応答』を読んでみようと思った動機は、『宇宙全史』第1巻の訂正内容やその後の追加事項を追っておきたいと考えたからです。『宇宙全史 地球全史編』自体が、もう10年以上前に出版されたものであることと執筆背景から追加情報の取得が必要であると判断しました。ネットの情報を探ってみても、しっかりしたまとめのようなものがないので、自分でまとめてみるしか仕方がないというのがあります。

 

そのほか、このような記事を残す理由をご説明します。『宇宙全史別巻 20年後世界人口は半分になる』という本をわたしは最初に読んだのですが、この書籍の刊行されたのが2014年。「半分になる」(落ち着く)とされているのが2034年くらいですね。もう、あと3年くらい中間地点をむかえる計算となります。「もしこの話しがホントだとしたら…??」現在の世界は、2021年ですがあくまでもわたしの感覚で、いくぶん混迷の様相を呈しているように感じられます。この本に書かれているような内容が進行中であると言われれば、わたしはそうかもしれないと思います。

 

ただ、この本の内容については、真偽については分からないけれど、自分の立場でできる限りのことをやっておきたいというのがあります。自分の場合は、いままでの人生についてはいくぶん整理はついているので、いまさら「騙された」としても大したダメージもありません。とりあえず自分の感性を信じてそこに身を投じ、「あのときああしてけばよかった」と思うよりは、よく分からない「与太話の類」ではではあるのだけれど、とりあえず自分をそこに放り込んでみて、試してみて、自分で確認してしまう、と思いました。

 

いままでは、『宇宙全史』はなるべくクローズで…という感じがあったと思うのですが、残りの10年を目前にしているいまなら、そろそろ普通に話していってもいいだろうという時期であると判断をしました。たとえば、儲けにならない500円の『20年後世界人口は半分になる』の刊行だとか、質疑応答シリーズの刊行ペースとタイミングから、そういった解釈をしました。また、「宇宙全史」が制限されていた理由のひとつに、「エホバ」や「陰糸」からの攻撃の標的とされるのを避けるためというのがあったと思います。ですが、「陰糸」自体は現状そうとう力を弱めつつあるといわれます。(エホバは、いまだ力を保持しているようですが。)

ですから、現在の2021年の時点においては当時の「なるべくクローズ」という状況はいくらか緩和されているはずです。

 

出版された年月の整理 

 

まずは、自分自身でも『宇宙全史』シリーズについては、出版年月がよく整理できていなので下記に個人的な備忘録をまとめました。

 

2008年4月30日『宇宙全史1 地球全史篇』初版発行 ネット限定

2009年9月30日『宇宙全史1 地球全史篇』第2版発行

2009年9月30日『宇宙全史 質疑応答1』初版発行

2010年3月31日『宇宙全史 質疑応答2』初版発行

2011年11月5日『宇宙全史 質疑応答3』初版発行

2014年6月20日『宇宙全史別巻 20年後世界人口は半分になる』初版発行

2016年2月25日『宇宙全史別巻2 誰が地球にのこるのか』初版発行

2018年9月30日『宇宙全史 質疑応答4』初版発行(質疑応答シリーズの継続)

2018年10月31日『宇宙全史 質疑応答5』初版発行

 

(注1:手元にあるのがこの『質疑応答5』までなので、ここまでのデータしかありませんが、現在2021年7月現在『質疑応答15』まで刊行されています。ちなみにわたしは、まだ『質疑応答2』を読了したところで、『質疑応答1』の整理のために個人的にここにメモをまとめています。既にお読みの方はご存知ですが、『宇宙全史』第2巻ないし第3巻以降は現時点でまだ未刊行です。)

 

(注2:2021年7月に掲示板を確認した情報では、第2巻については刊行の予定はなくなって、別形態になりますよ~、というようなことを示唆する最新の書き込みがありました。掲載されている状況がまだ落ち着いていないようですので、取り急ぎ追記してみました。それ以上のことは取り敢えず触れないことにします)

 

『質疑応答4』が刊行されたのがまだ最近で、それから最新巻の『質疑応答15』まで急ピッチで刊行されているようです。

 

わたしが、読んだ順番は『20年後世界人口は半分になる』→『誰が地球にのこるのか』→『宇宙全史1 地球全史篇』→『宇宙全史 質疑応答1』→(以下、『質疑応答2』へと続く)でした。一応、最新巻の第15巻までは目を通してみたいと思っています。

 

宇宙全史自体については、存在は知っていたけれど、『20年後世界人口は半分になる』や『誰が地球にのこるのか』などについては、特に関心はなかったので当時はスルーするつもりでした(タイトルから連想される内容に関心がなかった)が、「自我復元」を進めていく過程での関連情報があったので、まずは入りやすそうな「別巻」からという感じで読みました。(「自我復元」の記事については、掲載には時間がかかると思われるものの、可能であれば順次投稿していきたいと思っています。)

 

 感想

 

以下、『質疑応答1』の感想です。

 

第一印象ですが、新興宗教臭いイメージはあります。質問者さんと虚空蔵55さんのBBS上で見えてくる関係性に違和感があります。この関係性自体が、新興宗教っぽい感じはしてしまいました。実際に質問される皆さんも新興宗教出身の方が多いので、「え…」とは感じてしまいます。あとは、扱っている内容も同じくそのようなものを感じました。ただ、第1巻の段階で、断定的に判断するのは早計かもしれません。

 

わたしは、『宇宙全史』の内容は一応受けとめているものの、主にワークに参加されている方とはスタンスがずいぶん違うとは思います。

 

第1巻は、「霊視」(この言葉がイメージに合う)によって、各々の読者の生まれる前の来歴を辿って人生相談(?)を行っている感じでした。

 

著者の虚空蔵55さんは、巻末で

 

「ここまでは私たちのワークのため一定の段階の方たちの質問を受け付けておりました。それは「宇宙全史」を読み解くために、ある一定の必要な条件を個人が満たさねばならないため、そのカリキュラムのようになっています。この後もこれは続けられますが、いつまでもそればかりをしていられない事情もあるのです。これからは人類の次なる世代のためにも専門分野の方たちのご質問をお待ちしております。」(p.297 改行省略)

 

と記しているのでそのあたりを気にされている雰囲気はありました。

 

本書には、「守護霊」様という用語が頻出しますが、こちらは『宇宙全史1 地球全史編』ではまったく触れられていないか、殆ど触れられていない用語なので少し戸惑います。おそらく、五井昌久先生の著作に詳しく触れられているのではないかと思います。ただ、わたしは五井昌久先生については「世界平和の祈り(統一行)」は毎日勤めさせていただいているのですが、著作については特に関心がないので、進んで読むことはしないと思います。

 

虚空蔵55さんご自身についてなのですが、自分のことについては若干大袈裟に書いているような印象を受けます(実際、そうなのかもしれませんが文章からそのように感じます)。

 

まんだらけ社員の質問者さんが中盤登場します。ご本の信頼性からすれば同じ会社の社員さんのようですから、例え信頼性の高い内容であっても、敢えて外したほうがよかったのでは(?)と一読者としては感じてしまいました。ですが、それでもなお掲載した方が、読者の参考になりうるといった判断があったのかもしれません。

 

個人的にもっともひっかかっているのが「自殺」についての言及で、

 

「自殺者は今回の大アセンションが来るまで、その方のレベル(ほとんどは下幽界、地獄ですが)に応じた境涯で待機します。そして大アセンションと同時に「ダウンアセンション」ということをします。自殺者全員がそうであるとはいえないのですが、ほとんどすべて…です。「ダウンアセンション」とは、より厳しい条件の世界への移行ということです。」(p.120-p.121 改行省略)

「ですからご自分の今生におけるカルマが苦しくてもういやになり自殺してしまったという場合は、次の生では一段と厳しい修行が待っています(その前にほとんどは地獄界で長く苦しむことになります)。」(p.158)

 

こちらの記述については、何というかこんなことを言っても仕方ないのですが、アンフェアな感想を持ちました。どちらかというと個人的には、自殺者については同情的な気持ちを抱くことも多いので…。それにこちらの自殺者についての言及は、薄っぺらで何となく新興宗教の本とかでよくありそうな感じだな、といった印象を受けます。その方の人生だけでみれば、しんど過ぎて自死を選択した場合は「ダウンアセンション」というのは分からなくはないのですが、その自殺を契機として周りの人たちがたくさん「学び」を得るということもあるだろうし、全体的な視点で見れば周りの人の魂も自死を選択してしまった魂も、ある程度平等な扱いでよくない(?)と感じてしまいます。

 

いろいろ、疑問な点や気になった点は挙げてみたのですが、それでも全体的には個人的に参考になる部分はたくさんありました。『宇宙全史1 地球全史篇』についての修正事項もそれほど多くはありませんがいくつかはありました。また、『宇宙全史1 地球全史篇』では触れられなかったこの星で生きる場合のカルマについての取り扱いと位置づけについて、さまざまな言及がありました。第1巻の最後に収録されていたAさんのエピソードは、とても興味深かったです。まだ1/15巻なので最初の巻のみで全体を判断することはできません。引き続き、『質疑応答2』以降を読み進めたいと思います。

 

気になる部分のまとめ

 

いくらか気になった部分を下記にまとめます。

 

表示する場合は、下のボタンをクリックしてください。

 

表示する

 

「インターバル(ご褒美)」の人生というものが存在すること。(p.116 p.279 参照)

「「すべて自分に起こることの責任は自分でとる」という潔さを持つとき、そこに「何事も世界(環境)のせいにする、人のせいにする」という愚かな行為はしなくなるはずです。」(p.152)

 「あの世から現象界(この世)の出てくるときの状況を簡単に書いておきます。その方の魂がどの境涯にあるかによって多少違いますが、ほぼその魂が「もうここでの修行は十分やり遂げた。これからは肉体を持って現象界で最後の仕上げをしてみよう」と思い至る時、その魂の前に「評議委員会」が現れます。

この「評議委員会」はその魂が現象界に出ても可能かどうか、そこで学んでそれなりの力をつけ、進化を遂げているか、また現象界に出て何をやるのかという目的を明確に持っているのか……そういうことを本人の前で審査します。

その評議会の前には大きなスクリーンがあり、本人の学びや目標がありありと映し出されます。その時点でその魂が一定の基準をクリアしているかどうかということが、一瞬で分かりますので、即座に裁定が下されます。魂が現象界で修行(学び)をしようとする時「自分はこういうことをして、ここまでクリアしたい」という希望は確かにあるのですが、問題はカルマです。その魂が引き受けたカルマ(これは個人的なものや、魂の集合魂のもの、あるいは肉の家計にまつわるカルマなど複雑です)に基づく宿命、運命というものが基本に今生における人生設計があります。」(p.156-p.157)

「なおエホバやエル・ランティたちがほしがる従順さは「素直」ではなく、最近の BBS でも出てきましたが「忍従」というものを求めています。それは「盲目的な従順」というもので、(以下略)」(p.162)

「あなた方が何気に殺している「ネズミ」や「ゴキブリ」さえも、注目している存在がいるのです。ただ「殺してはいけない」ということではないのですが、「意味もなく殺すこと」あるいは「殺さざるを得ないような状況に追い込むこと」は、我々人類の負うべき責任が問われるということがあります。「あらゆる生命を、おろそかに扱ってはいけない」その本当の理由が、そこにあったのです。」(p.206 改行省略)

「この時に確認できたことがあります。それは「地球というこの宇宙の最終試験の実験星には、ほぼ全宇宙の生命体の形態が集まっている」というものです」(p.206)

「相手のために祈る祈りは、ご自身への祈りでもあるのです。」(p.232)

「人のせい、周りのせいにしている間は進歩がない」「いつまでも同じ事の繰り返し」(p.270 改行省略)

「カルマの清算にはダイレクトにその行為を清算する場合と、他の方法でクリアするものがあります。例えば前世で「多くの人々を虐待して殺した」というカルマに対して、そのまま何生もかけて、殺した人たちに殺され続ける清算の方法もあれば、逆にボランティアとなり、人々を色んな形で救うという清算方法もあるのです。しかし後者の清算は、ある一定以上の段階の魂に許されているやり方で、勝手に魂が選択できるというものでもないのです。」(p.261 改行省略)

「今回が最終だからセッティングされた、残っているものはとりあえず全て出す」(p.284 とある一文)

「容姿を選択して、それを学びのメソッドにするという段階にまでいたっていない。」「彼女自身もそういう選択することはないし、その段階でもないので、例え間違って選択しても、転生で現象界に出る審査の時に却下されてしまう。」(p.285 )

「待つということが一番の慈悲なんだよ」(p.294)

 

新型コロナウィルス、良心と発言

新型コロナウィルスに対するわれわれの社会の取り組み方の是非やオリンピック開催などの可否をめぐる議論などについて、自分の良心に問いかけ、それに基づいて思い切って自分の意見を言うひとが増えたなって思う。

 

感覚的には、15%から20%くらいは増えてるんじゃないかな。

 

わたしはまだなかなかできないけれど、そんな人々が最近は羨ましいと感じるようになった。

 

他のヒトの顔色を窺ったり、関係組織の意向を忖度をしている場合じゃないというか。

 

ついこの間までこの日本では、組織や社会の考え方や周りのひとの気持ちを考え過ぎて、自分を抑え込むのが通例だった。過度に周りの気持ちや考え方を重要視する世の中の仕組みが極限まできてしまったのではないかな。だけれど、そのようないままでのやり方では対処できないような世間の流れになってきているのかもしれない。

 

自分の良心にしたがって行動するヒトと、依然として組織や周りの意見に呑まれてそれに基づいて行動するヒトと2分化しているようにも感じられるのだ。